雑感

先日、計画停電中にTwitterを覗いたときのこと。
楽しそうに面白おかしくツイートしている文章を読むと、どこかで微妙に距離を感じてしまう自分がいました。
寒くて、暗くて、時々揺られながら、ちょっと寂しくなったのです。
何時になったら通電すると分かっている停電は、いつ通じるか判らない停電とは大違いなのですが、それでも心理的には影響があります。
人間ってどんなに偉そうなことを言っても、嫉妬やねたみと背中合わせで生きています。
自分がつらい時にはまわりもつらそうだと安心します。
反対に、自分だけがつらくてまわりが楽しそうだと嫉妬します。
仮につらくなる理由が自分にあったとしても、自分ではなくまわりに原因を求めたくなります。
その一例がTwitterでの複雑な気持ちでした。
こんなことは大人げないことは分かっています。
でも、そんなものなのですよね、人間の気持ちって。
たとえば、フルタイムで働いている主婦が家族に夕食を食べさせて後片付けをする時、ご主人が呑気にテレビでも観ていたら、ちょっと不満に思いませんか?
頭では「夫はお仕事で疲れているから休ませてあげたい」と思っていても、「私だって仕事で疲れているのよ」と心のどこかで思ってしまいますね。
そんなとき、ちょっとしたご主人のひと言で妻の気持ちは一変します。
あるいは食器を下げてくれるだけでも嬉しいものです。
妻は一緒にお皿を洗うことを望んでいるのではなく、一緒に片付ける「気持ち」が欲しいのだけなのです。
*   *   *
被災地で命がけの時間を過ごしている人達からみれば、それ以外の人達はみんな圏外であって、圏外の人達が発する言葉は空しく響くに違いありません。
「私達は命がかかっているんだよ!」と悲痛の叫びをしたいのですから。
だから、そんな時にはどんな励ましの言葉も、かえって迷惑だったり神経を逆なでするだけでしょう。
放射能云々と言って騒いでいる東京の人達にいらだちを覚えるでしょう。
当事者でなければ分からない気持ちが絶対あるのですから。
よく、こんなに落ち込んでいる時だからこそお笑いを、という考え方もあります。
しかし、私も体験しましたが、本当に落ち込んでいる時には笑いに反応する感情が欠落してしまうのです。
可笑しいことを可笑しいと感じられないのです。
戦時中に歌手が軍隊に慰問していたのとは事情が違います。
緊急に命がかかっているのです。
まずは空腹を満たすこと。
生きるための生命線を確保した上でなければ、笑いは生まれないのだと思います。
そんな時に子供の笑顔は最高の癒しになります。
子供はみんなの宝物だと心から思います。
むそう塾生の出産が相次いでいますが、そのうちのお一人の笑顔(寝顔)をお届けします。

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コメント

  1. Fiona より:

    お久しぶりです。
    今回のような大きな災害や被害に遭うと
    人間は自分を防御するために感情を遮断する
    そうですね。ギリギリのところを生き抜くには
    いちいち感情を感じていたらやっていらないの
    かもしれません。

    こういう場合「がんばって」という言葉は
    避けていますが、「大丈夫?」という言葉も
    控えたほうがいいと教えてもらいました。
    感情を抑えているために大丈夫だという安心感も
    得られないということなのでしょうね。

  2. マクロ美風 より:

    Fionaさん、お久しぶりです。

    ある意味極限状態の時には、何も耳に入らないのだと思います。
    どんな言葉も頭上を通り越してしまうのではないでしょうか?
    顔では対応しても、心では対応できる余裕もなく、つらさだけが増幅するのではと思います。

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