「自由に生きること」とは?

昨年、「ブログdeマクロビ井戸端会議」を開催しましたが、結構にぎわいました。
「主食とおかずの割合」  「どんな時癒されるの?」

結局、忙しさも手伝って、お返事が書けないままになってしまったのですが・・・(ごめんなさい)。
今回も、同じ要領で「ブログdeマクロビ井戸端会議」を開催します。
どんどん横レスを入れて「会話」を楽しんでください。
             *    *    *    *
<今回のテーマ>
マクロビオティックを勉強していくと、いたるとことで「自由に生きる」とか、「自由人」という言葉が登場してきます。
ここで言うところの「自由」って、何を指すのでしょうね?


難しい内容ですが、普通の言葉で、身近な考え方が出来たら嬉しいですね。
どうぞ、思い切って発言してみてください。
お気軽にね♪- – -そもそも「井戸端会議」って、立ち話なんですから?(^^)
その前に、先日の記事とコメント文をご一読いただけると、今回のテーマが絞り込めます。
(携帯でご覧の方は、下記の記事をお読みくださいませ。)
【マクロビオティック マガジン「むすび」より–自由に生きること– 】

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コメント

  1. めもる より:

    思うことを書きます

    心も身体も病気でなく、【一日一日を精一杯、
    明るく元気に前向きに生きられること】を
    自由に生きることかなぁと思いました

  2. より:

    私の中で自由に生きるとは、無執着であり無害であることです。

    無執着とは、強く関心を持ち、毎日を心を込めて生きながら、でもその結果や周りの反応には無執着でいる。健康も幸せも、毎日の生活も感心を持ち、アンテナを張る。でも、それに囚われずに生きたい。食事をシンプルにすることも、その過程の一つだと思います。我慢をするんじゃなくて、そこへ意識を注がないって言う感じで。

    無害って言うのは、そのまんまなんですが、地球と共に生きるって事です。日本に輸出するための大豆を作るために森が消えている事実とか、輸送の際の大気汚染、畜産業の地球へのダメージ、、。加工品の包装や洗剤やコスメの地球や人体へのダメージ。そういうのを知った上で、自分で選択するということ。

    あと、人との関わりで無害であるということ。相手を傷つけたりするようなことをしないっていうのは当然ですが、必要以上に助けてしまったり、必要なときに助けなかったり。必要な距離とか時間とか、人によって違うし。

    食事は、体だけじゃなくて、自分の意識にも大きく影響を与えると思います。

    自分という感覚を持ちながら、自分が地球の一部で生かされているという感覚も持つということでしょうか。

    シンプルに生きるっていうのが大切だと思ってるんですが、うまく言葉にできません、。。

  3. harebijin より:

    心を『空』に出来て・・・心が『空』になる事

    でしょうか・・・

  4. マクロ美風 より:

    そうですね~。
    苦しみ抜いためもるさんならではの「自由」ですね。
    これからが楽しみ!

  5. マクロ美風 より:

    >我慢をするんじゃなくて、そこへ意識を注がないって言う感じで。

    解ります、この感覚!

    >必要以上に助けてしまったり、必要なときに助けなかったり。

    この感覚は人間同士は勿論ですが、国と国の関係でもいえますよね。
    昔読んだ向田邦子さんの本に、親しい人とのいい関係が書かれていて、ためになりました。
    いつも心に意識しています。

  6. マクロ美風 より:

    うわっ!
    お久しぶりのコメント、ありがとうございます!

    難しいと仰りながら、一言で言い表すなんて、さっすがharebijinさんですね~。

    「空」ねぇ~。
    心が「空」になったら、きっと軽いんだろうね~。
    そして、あらゆることを受け入れられるんだろうねぇ。
    それでもなお、「空」。

    私はまだまだ、異物がいっぱい詰まっていそうです。。。

  7. しろうさ より:

    肉体を持った人間は、絶対に時間空間の制約を受けます。
    その意味で不自由です。
    「心は自由だ」と言ったところで、
    次の瞬間に物理的に移動することはできません。
    120年以上地上で生きることも(おそらく)できません。
    しかし、肉体があるから、
    ご飯のおいしさがわかります。
    愛する人の肌の暖かさを知ることができます。
    心が、「自分だ」と思っている自我は、
    名前、職業、記憶、など
    人と人との間に生じる情報の網です。
    その芯は、「空」です。

    人間として、自由に生きるとは、
    わざわざ肉体と言う制約条件を課して、
    人と人との間で生きる、「人間」という経験をしている、
    ということを、一つはなれたところから見る目を持って
    生きることだと思います。

  8. マクロ美風 より:

    しろうささん、お久しぶりでございます。
    なるほど!
    と思いながら読ませていただきました。

    >人と人との間で生きる、「人間」という経験をしている、
    ということを、一つはなれたところから見る目を持って
    生きることだと思います。

    ストンと良く理解できます。
    やはり、不自由人が多いかもですねぇ。
    そもそも、「真」の自由人なんて、滅多にいないでしょうが・・・。

  9. gissy より:

    ここでいう「自由に生きる」というのは「幸せに生きる」ということとほとんど同じ意味なのではないかなぁ、と思いました。そのためには、まず心身ともに健康であること。そして生活に困らない程度のお金(自給自足で全てまかなえるなら必須ではないですが)が土台にあると思います。

    その上で自分の意識や行動が偏らず、全ての物事に対して縦横無尽、千変万化に心や体が対応できる、そんな状態が「自由」なのではないでしょうか。常に変化し続けること、それが自分の中で「自由」を得るためのひとつの手段だと考えています。

    どこかに立ち止まってしまったり、思考を停止してしまったり、固定観念を持った瞬間に、人は「自由」ではなくなる気がします。

    と、偉そうな事を書いていますが、自分はまだまだ不自由な人間です…汗

  10. マクロ美風 より:

    やあ、gissyさん!
    「自由自在」ってタイトルいいですね~。

    桜沢先生の本で、「千二百年前の一自由人」って本があるんですけどね、それを読むととてもとても「自由」なんて到達出来ないなぁと思うんですよ。

    でも、gissyさんが書いてくれた「自由」は、現実的で解りやすくて、夢が持てる解釈ですよね。

    >常に変化し続けること、それが自分の中で「自由」を得るためのひとつの手段だと考えています。

    同感です。

  11. シナモン より:

    こんばんは、お久しぶりです、シナモンです。今回の記事のテーマは、私自身も色々と考えていたことなので参加したいと思います。

    そこで、私の思う『自由な生き方』がとてもよく描かれている言葉があるので載せます。たぶん知っている方も多いと思うのですが、ネイティブインディアンの古老たちが語って下さった言葉です。

    今日は死ぬのにとてもいい日

    すべての生あるものが私と調和し

    あらゆる声が 私の心の中で声をそろえて唄っている

    すべての美は 私の目の中に安らごうとしてやってきて

    あらゆる悪い考えは 私から立ち去っていってしまった

    今日は死ぬのにとてもいい日

    私の土地は 穏やかに私をとりまき

    畑には 最後の鋤を入れ終えてある

    家は笑い声に満ちていて

    こどもたちが帰ってきている

    そう 今日は死ぬのにとてもいい日だ

      (柊 沙羅 訳) ―終わり

    私はこう思うのです。『今日は死ぬのによい日だな。』大地に立って、空を見上げ、天気や周りを眺め観て、そういう思いが出たならば、それはあらゆる執着から離れ、欲や恐れを手放してフリー(自由)な状態でいるのだと。

    逆を言えば、頭で理屈をこねくり回して色々と選択すること、拘りと囚われの中にいて自分を縛り付けていることが不自由だと思います。

    だから私はその日に拘らず囚われず、毎日を坦々とひとつひとつ大切に生き抜くこと、そしてあらゆる時も傍観して渦の中に入り込まない、冷静な目でクリアな心でいること、それが私にとって『自由』に生きることだと思います。

    (言葉足らずの上表現力が乏しいので、もしかしたら誤解や不快感を与えてしまうような表現になってしまったかもしれません。もしそのように感じた方がいらしたら本当にごめんなさぃ。。)

  12. マクロ美風 より:

    何て穏やかで、心洗われる文章なんでしょう!
    特にここでは涙が出ました。

    >畑には 最後の鋤を入れ終えてある

    そして、

    >あらゆる執着から離れ、欲や恐れを手放してフリー(自由)な状態でいる

    ああ、書き出していたら、全部書かなければいけないほど、素晴らしい言葉ですね~。

    >そう 今日は死ぬのにとてもいい日だ

    いつもそんなふうに思えるように、日々を過ごせたらいいな。
    シナモンさん、感動をありがとう!

  13. stun より:

    全てを受け入れて許す事が出来たら自由になれそうな気がします。
    でも結局全ては「空」に尽きるような。
    宇宙の秩序、全ての根源は「空」ですもんね。

    無双原理、早く読み終えたい…

  14. マクロ美風 より:

    お久しぶりです~。
    お体の変化はいかがですか?

    >全てを受け入れて許す事が出来たら自由になれそうな気がします。

    これが結構難しかったりします。
    でも、かなり出来ます。

    そして、一つでも受け入れることが出来たら、凄く変化します。
    その数が多ければ、当然いっぱい変化します。

    それが「空」に繋がるんだろうなぁ。
    今の私は、ここまでしか実感できていないの。

    これからどんな変化があるのか、楽しみです。

    ところで、無双原理。
    尾形先生のお話をお聞きしてからだと、より理解できるかも?
    でも、今のお仕事はそれがなかなかですよね~。

    いつか、お二人で尾形先生の「お話し会」にいらっしゃ~い♪

  15. Unknown より:

    >いつか、お二人で尾形先生の「お話し会」にいらっしゃ~い♪
    新潟でもまた尾形先生をお招きできたら良いなぁなんて思ってます!
    無双原理、ちょびちょび読み進めてますが、やはり「黒本」よりは濃いですね。
    面白いです。

  16. stun より:

    ↑僕です…

  17. マクロ美風 より:

    ハハハ、僕です…がなくてもstunさんだって分かっちゃうよ~(^^)v

    >新潟でもまた尾形先生をお招きできたら良いなぁなんて思ってます!

    いいねぇ~。
    やりたいねぇ~。
    そろそろ鍋物の恋しい季節だし、湯気が嬉しいよね

    それはそうと、この前金沢に行ったんだけど、帰りに越後湯沢から新潟にまわって、emikoさんとstunさんの顔を見に行きたいなぁ~って、すごく思ったんだよ~。

    でも、急だったら絶対にムリだろうから、諦めて帰って来たの。
    会いたかったな~。

  18. ぼんた@ より:

    遅ればせながら、発言させていただきます。

    自由とは、責任と比例するものである

    多くの(大きな)責任をとる人の
    自由こそが一番大きいのだと確信します。

    それは社会的責任かもしれないし
    自らの健康に対する責任かもしれない。
    その形は様々でしょう。

    自由を得ていない人は
    (または自由ではないと思っている人は)
    自らの力量にふさわしい責任を
    まだとっていないのではないかと思います。

    そういう意味では
    自由と健康としあわせはよく似ていますね。

    いつか「そう」なるのではなく
    今「そう」あろうとすることが
    大切なものとして
    私はとらえています。

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